【島根2014】松江塩見縄手・武家屋敷・小泉八雲旧居
塩見縄手
武家屋敷
江戸時代初期から、松江藩の六百石程度の中級藩士が、屋敷替えにより、入れ替わり住んだ。
盛り砂
日本刀は普段使わない状態では、いざというときに切れないことがあるので、
この砂に数回切りつけてから使った
武家屋敷の門から玄関までの間に必ずあるもの。
式台玄関
座敷
奥方居間
長屋門
小泉八雲旧居
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1850年にギリシャで生まれ、アイルランドに移り、
フランス・イギリスで教育を受ける。その後アメリカに渡ったあと、
1890年に特派記者として来日後、14年間を日本で過ごす。
松江では1年3か月暮らし、この家に住んでいたのはそのうちの約5か月
この家は旧松江藩士の武家屋敷で、当時この家の家主は出雲市の郡長をしていて、
この家が空き家だったのを、庭のある侍の屋敷に住みたいと八雲が借りていた。
小さいながらも枯山水の観賞式庭園を西洋人の八雲は好んで眺め
居間・書斎などをぐるっと取り囲む庭は、作品「知られぬ日本の面影」の舞台となった。
入場券・パンフレットなど
今年大活躍の錦織圭選手は島根県松江市の出身です
松江城の内堀とそれに平行する道路、城下町の通りで、パンフレットより
縄手とは、縄のようにひとすじに伸びた道路のことで、この塩見縄手には、二百石から六百石の中級武士の家中屋敷が並んでいた。
その中の塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになった。
武家屋敷
江戸時代初期から、松江藩の六百石程度の中級藩士が、屋敷替えにより、入れ替わり住んだ。
盛り砂
日本刀は普段使わない状態では、いざというときに切れないことがあるので、
この砂に数回切りつけてから使った
武家屋敷の門から玄関までの間に必ずあるもの。
式台玄関
座敷
奥方居間
長屋門
小泉八雲旧居
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1850年にギリシャで生まれ、アイルランドに移り、
フランス・イギリスで教育を受ける。その後アメリカに渡ったあと、
1890年に特派記者として来日後、14年間を日本で過ごす。
松江では1年3か月暮らし、この家に住んでいたのはそのうちの約5か月
この家は旧松江藩士の武家屋敷で、当時この家の家主は出雲市の郡長をしていて、
この家が空き家だったのを、庭のある侍の屋敷に住みたいと八雲が借りていた。
小さいながらも枯山水の観賞式庭園を西洋人の八雲は好んで眺め
居間・書斎などをぐるっと取り囲む庭は、作品「知られぬ日本の面影」の舞台となった。
入場券・パンフレットなど
今年大活躍の錦織圭選手は島根県松江市の出身です
by tabi-omoide | 2014-10-09 09:00 | 島根2014