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【広島2015】尾道・千光寺

尾道に居ながら、天気がすぐれず、
尾道を歩いてなかったので旅程最終日にやっと、千光寺に行きました。


ロープウエイで上がります。

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ロープウエイの中から千光寺と玉の岩(烏帽子岩ともいう)が見えます。


尾道の地名にも深く関係している千光寺の『玉の岩伝説』。
その昔烏帽子岩の頂にははるか遠くを照らす“宝玉”があったと伝えられています。
そのことから尾道水道は別名「玉の浦」とも呼ばれています。
現在は岩の頂に宝玉の代わりに玉が置かれ、夜になると三色に輝きます。

千光寺HPより

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上からの展望

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ロープウエイは登りだけ利用して、下りは文学のこみちを歩きながら降りてきました。
尾道は多くの文人に愛され、
林芙美子、志賀直哉、正岡子規など尾道ゆかりの文人たちの石碑が並んでいました。

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正岡子規

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十返舎一九

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金田一京助

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志賀直哉 「暗夜行路」より

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林芙美子 「放浪記」より

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山口誓子

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柳原白蓮
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千光寺

大同元年(806)、弘法大師の開基とされる真言宗のお寺。千光寺山の中腹に位置し、尾道を代表する観光地「千光寺公園」はこのお寺を中心に整備されています。

朱塗りの本堂「赤堂」や”残したい日本の音風景100選”に選定された「鐘楼」はこのお寺のシンボル的存在。初詣のスポットとしても知られ、例年多くの参拝客が訪れます。


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鐘楼


朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っています。この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっています。

この鐘の特徴として鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子が浮彫りになっておりこの地方では珍しい曼荼羅の鐘であります。


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俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度開帳の秘仏です。俗に火伏せの観音とも称されています。


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天寧寺の海雲塔
貞治6年(1367)に足利義詮が建立した国重文の塔婆(海雲塔)


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艮(うしとら)神社

旧市内で最古の神社と言われています。
境内に生えている楠は樹齢900年と言われ、幹の周囲は約7m。天然記念物にも指定されています。

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by tabi-omoide | 2015-10-04 10:00 | 広島2015

【広島2015】しまなみ海道・ドライブ編3 大三島・大山祇神社

多々羅大橋をわたって大三島に入りました。

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大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)
です。

今からおよそ2600年くらい前、神武天皇御東征(南九州地方より奈良地方へ御東征したと伝えられています。)にさきがけて、御祭神、大山積大神の子孫小千命が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられます。御祭神は、大山積大神で天照大神の兄神に当り、天孫瓊々杵尊御降臨に際し御子女神木花開耶姫命を皇妃として国を奉られたわが国建国の大神で、山幸神(山林・鉱山の神)、和多志神(航海の神)、大水上神(地水、稲作の神)、塩筒神(陸上・海上交通の知識神)、事勝国勝長狭神(戦勝の神)が祀られ御神徳のある由緒ある神社です。本殿、拝殿、宝篋印塔は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には国宝を含む数多くの重要文化財を収蔵しています。

今治観光協会HPより


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2010年に再建された総門は総ヒノキ造りで高さは12mある

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平山郁夫のスケッチも残されています。

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樹齢2600年といわれる楠

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ここの宝物館には源義経奉納の甲冑をはじめ、
全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されていて、日本一の武具館として知られています。

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海事博物館
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館内撮影禁止なので
入場券とパンフレット

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by tabi-omoide | 2015-10-02 10:00 | 広島2015

鎌倉・大仏~源氏山ハイキング

鎌倉・大仏~源氏山ハイキング
江ノ電の長谷の駅からスタートです


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長谷の駅から歩いて、ハイキングコースに行くまでに

国宝 鎌倉大仏
を見物。


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高徳院の本尊
阿弥陀如来像は1252年から10年くらいかけて作られたとみられる。
台座を含む総高 13.4m
重量 121トン

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大仏トンネル脇の階段を登り、
前々日に降った雪で所々ぬかるんでいるハイキングコースを1時間ほど歩いて、
源氏山公園に到着

源氏山(標高約93m)という小さな山全体が公園として整備されています。
源氏山の名は、頼朝の祖先にあたる源(八幡太郎)義家が、後三年の役で奥州に向かう際、源氏の象徴である白旗を立て、勝利を祈願したことに由来します。別名「旗立山」。
写真の鎧姿の源頼朝像は、頼朝鎌倉入り800年を記念して建てられました。

鎌倉観光ガイドより


源義朝公銅像

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源氏山公園からは寿福寺裏に出て、線路を渡り小町通りへと抜けました。
ハイキングはここまで。




ランチは 小町通りの
ドルチェ ファール ニエンテにて
鎌倉野菜のランチプレート

サーモンとかぶ、ほうれん草・じゃがいも
キッシュ、スープ、ミニデザート ドリンク付き

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鏑木清方(かぶらき きよかた)記念美術館に立ち寄りました。


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近代日本画の巨匠、鏑木清方画伯の終焉の地に建てられた記念館です。

鏑木清方の肖像画と美人画の企画展をやっていました。


館内は撮影できませんでした。






鶴岡八幡宮

康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。

その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。

現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。


鶴岡八幡宮HPより抜粋


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鎌倉で一番見た鳥は とんび 
普通はどこにでもいるカラス。ここではカラスよりもたくさんいるのがとんび

大きいし、群れているので迫力です。
飛んでるからカメラでとらえるのは難しい。


トンビ

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池には、トンビ・カラスの他に
オナガガモ・ヒドリガモ・カルガモ・鵜・スズメがいました。

オナガガモ・オス

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鎌倉と言えば・・・

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鶴岡八幡宮を後にして、鎌倉とはお別れ。横浜に寄り道しました。
横浜でお買い物・ディナー

青海星さんで 満腹コースをいただきました。



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聚楽のマーラーカオ
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大きいけれど フカフカ~

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チャーシューまん
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頂好の月餅のような お菓子 ナッツ入り

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一日約18000歩歩いて、よく食べて、楽しんで来ました。
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by tabi-omoide | 2015-02-04 10:00 | 登山・ハイキング

【熊野古道2014】熊野那智大社・青岸渡寺

熊野那智大社

熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。

命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。

その社殿を、お瀧からほど近く、現在の社地に移したのは仁徳天皇五年(三一七年)
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました
熊野那智大社HPより

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熊野三山の中で、一番混雑していました。

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那智山は熊野三山の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。
今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。



那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)


「補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」と御詠歌で親しまれている西国第一番の札所
印度天竺の僧、裸形(らぎょう)上人が那智大滝において修行を積み
滝壷で24cmの観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。
その後、200年推古天皇の頃、正式に本堂が建立。
平安朝中期から鎌倉時代には、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰がさかんになり、花山法皇が那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝、西国第一番札所となりました。

 青岸渡寺HPより


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三重塔と那智の滝


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那智の滝

落ち口の幅13メートル、滝壺までの落差は133メートル
一段の滝としては落差日本1位。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。


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飛瀧神社(ひろうじんじゃ)


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下の方に虹がかかっています。

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by tabi-omoide | 2014-12-02 10:00 | 熊野古道2014

【熊野古道2014】那智・補陀落山寺(ふだらくさんじ)

新宮から那智に移動

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真っ先に訪れたのは駅のそばの

補陀落山寺(ふだらくさんじ)です。


補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもので、補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。


Wikipediaより


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補陀落渡海船(ふだらくとかいせん)

生きながらにして観音浄土を目指す為、約30日分の食糧を積み込み、外から釘を打ちつけて航海に出たとされています。



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by tabi-omoide | 2014-12-01 10:00 | 熊野古道2014

【熊野古道2014】新宮・熊野速玉大社&神倉神社

熊野速玉大社


熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐(イザナギ)神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美(イザナミ)神とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ



Wikipediaより


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八咫烏神社
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ご神木「なぎ」

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境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。「千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る」                       藤原定家


熊野速玉大社HPより


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神倉神社

神倉神社は新宮市の西端に聳えたつ権現山の南東端、本社の飛地境内地となっている神倉山に鎮座しています。源頼朝が奉納したといわれる五三八段の急峻な石段を登った先に鎮まる巨岩ゴトビキを御神体とし、高倉下命、天照大御神を祀っています。神倉山の峻崖は、日本書紀にある天ノ磐盾であると伝えられ、熊野三所大神が天降った聖地です。

熊野速玉大社HPより


新宮市内より見える神倉神社

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熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨された。

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神倉山より熊野灘

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by tabi-omoide | 2014-11-29 10:00 | 熊野古道2014

【熊野古道2014】中辺路・発心門王子~熊野本宮大社

湯の峰温泉を後にして再び熊野古道・中辺路を歩きます。
全行程を歩くのは体力と時間の都合であきらめて、

発心門王子から熊野本宮大社までの7kmを歩きました。
ここからは本宮の神域とされています。



発心門(ほっしんもん)王子

五体王子のひとつとして格別の崇敬をうけた。現在の社殿は絵巻を参考に復原されたもの。


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標識に八咫烏(やたがらす)登場

八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
なお、「八咫烏」(3本足のカラス)は古代中国から日本に伝わったとされる。

熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。


Wikipediaより


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伏拝(ふしおがみ)王子

熊野本宮大社を一望し、有難さのあまり平伏して拝んだといわれる。

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本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)の森を望む。

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和泉式部の詠んだ和歌



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  熊野本宮大社

神社縁起によれば、崇神(すじん)天皇の時代(前27~29)に社殿が建てられたと記されている。
社地はもともと大斎原(おおゆのはら)にあったが、明治22年に大洪水の被害にあったため、
現在の地に移された。


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八咫烏のポスト

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おみくじとお守りも八咫烏

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大斎原(おおゆのはら)

熊野本宮大社がもともとあった地

大鳥居は高さ34m、幅42m
2000年前に建てられた日本最大のもの。


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by tabi-omoide | 2014-11-28 10:00 | 熊野古道2014

【熊野古道2014】中辺路(なかへち)滝尻王子~近露王子

熊野古道・中辺路(なかへち)を歩きました。

熊野古道は平安時代から千年の歴史を持つ信仰の道で、
古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、
熊野の神仏に救いを求め、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。

「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。

田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)は最も多くの人が歩いたとされていて、
滝尻王子から熊野本宮大社まで全部歩くと約40kmあります。


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関東からのアクセス方法は色々あると思いますが、
今回は夜行バス(大宮発・池袋・新宿・横浜経由)で早朝に紀伊田辺に到着です。

夜行バスも様々ですが、3列独立シートで、飛行機のエコノミークラスよりは広い空間。
ブランケットも付いているし、エアー枕とアイマスクを持参して、
ぐっすりは無理だけど仮眠?はできました。

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予定時刻より早く田辺に到着、すぐに飛び乗るように路線バスに乗って滝尻王子に移動します。


熊野古道とは、昔の人びとが熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)にお参りした道のことです。

熊野古道沿いには、九十九王子(九十九は実際の数ではなく、数の多いことを表したもの)と言われる程たくさんの王子社があり、参詣者は王子社を巡拝しなが ら長く険しい旅を続けたのです。王子社とは、熊野の神様の御子神(ミコガミ)が祀られているところであり、参詣者の休憩所でもありました。
   田辺観光協会HPより



紀伊山地の霊場と参詣道として10年前の平成16年7月に世界遺産に登録されました。

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熊野古道館(案内・休憩所)朝早くて開いていませんでした。

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滝尻茶屋

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滝尻王子

中辺路の入口です。
熊野九十九王子の中でも格式の高い五体王子の一つ。
上皇や法皇の参詣の際にはここでも歌会が行われた。

滝尻の名は王子の脇まで急峻な地形で瀬音が滝のように聞こえたことから名付けられた。


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胎内くぐり

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乳岩

藤原秀衡が熊野参詣の際にこの岩屋に生まれたばかりの子を置いて本宮に参り、
戻ってみると岩から滴る清水が乳に転じて赤子を養っていたと伝えられる。

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針地蔵尊

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高原熊野神社

現存する古道沿いの神社の中では最古のもの。
春日造りの室町時代のもの。

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高原霧の里休憩所

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大門王子跡

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案内標識は至る所にあります

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大阪本王子
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近露王子
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熊野古道・中辺路 初日
滝尻王子から近露王子まで13km


休憩込みで7時間ちょっとかかって、頑張って歩きました。もうフラフラです。
昔の人が何日もかかって歩きとおしたのは健脚だなあとしみじみ感じました。

日ごろの移動に車ばかり使っているからと反省。



近露王子からバスに乗って 湯の峰温泉で一泊します。
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by tabi-omoide | 2014-11-26 10:00 | 熊野古道2014

【乃木坂2014】オルセー美術館展・乃木神社

新国立美術館でオルセー美術館展~印象派の誕生~を見てきました。

写真は撮れないので、パンフレットより。


エドゥアール・マネ 「笛を吹く少年」

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クロード・モネ 「草上の昼食」

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ジャン=フランソワ・ミレー 「晩鐘」

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新国立美術館を出て
乃木坂を散策してきました。

乃木神社

明治45年(1912)7月30日明治天皇が崩御せられ、御大葬の大正元年9月13日御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後8時過ぎ、乃木希典将軍と妻静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。
乃木邸内の小社に御夫妻の御霊をお祀りし、
大正8年(1919)には乃木神社創立の許可がくだり、明治神宮創建の後御造営の事業が起こされ、大正12年(1923)11月1日鎮座祭が斎行されました。

                       乃木神社HPより



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旧乃木邸



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馬小屋


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辻占いの少年との銅像

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by tabi-omoide | 2014-10-24 09:00 | 東京散策

【島根2014】須我神社・玉造湯神社

須我神社

須佐之男命(スサノオノミコト)と稲田姫(イナダヒメ)が結婚して
初めて宮(新居)を構えて暮らしたとされ、「日本初の宮」とよばれる。

夫婦生活の喜びをスサノオノミコトが詠んだとされる和歌は日本最古のものであり、
和歌発祥の地と伝えられる。

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玉造湯神社

玉造の神・櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)、国造りと温泉療法の神・大名持命(おおなもちのみこと)、温泉守護の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀ってある。

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by tabi-omoide | 2014-10-18 09:00 | 島根2014